伊波貝塚は沖縄県のうるま市、石川伊波に存在する遺跡で、名前のように貝塚遺跡に分類されています。沖縄本島中部東海岸石の川平野側にある遺跡で、標高90mの丘陵上というロケーションです。沖縄の歴史を知ることができる遺産が眠る場所と言っても過言ではないですから、1972年に国の指定で史跡となっています。
丘陵頂上の下は岩陰で形成される緩やかな傾斜地となっており、南北20m、東西160mの範囲に貝層が点在しているのが特徴です。ちなみに貝層の厚さは約60cmほどで、貝や魚に獣の骨、石器や土器に貝製品や骨製品まであります。これらはいずれも出土して確認されているものですから、かつて沖縄でどのような生活が営まれていたのか、古来の歴史を辿る貴重な情報源となっています。遺跡から出土されたものは原始時代にまで遡りますし、当時の生活様式や文化的な背景まで知ることができるヒントとなります。 土器には標識の意味で伊波式と名づけられ、観光の目玉の1つにもなっています。伊波式土器はこの貝塚を代表する前期の形式と考えられていますが、沖縄の先史土器そのものは九州の縄文土器とそれほど変わらないとされます。しかし伊波式土器は形状が独特なことから、沖縄が独自の文化を発展させる切っ掛けや、どういった発展を行ってきたかを知る情報源の1つになっています。北中城村の荻堂貝塚と並ぶうるま市の伊波貝塚は、明治37年の1904年に考古学者の鳥居龍蔵が発見、その後大正9年の1920年の調査によって明らかになりました。調査は1922年頃まで続き、琉球伊波貝塚発掘報告にまとめられています。 琉球王国を代表する勝連城跡、安慶名城跡や仲原遺跡と比べると、伊波貝塚が地味なのは否めないです。とはいえ地元だけでなく国の指定文化財ですから、うるま市の学校教育では共感や許しといった平和教育の和解と並び、この伊波貝塚の教育も行っています。改めて確認すると、沖縄はうるま市だけでも歴史的な価値、伝統文化を知ることができる文化財が多いことが分かります。伊波貝塚の標識土器は縄文時代の後期、沖縄貝塚時代前期の3500年から3000年前頃のものとされています。 遺産と呼ぶのに申し分はありませんし、貴重な歴史的資料として守っていかなくてはいけないものだといえます。観光目的が伊波貝塚だけだと流石に地味ですが、地域の歴史を巡る観光目的の1つとすれば、古来の生活が見えてくる最高のロケーションになると考えられます。